黒部峡谷を描いた作品
宮廻正明作品集

「澄泥双生」(ちょうでいそうせい)
1995年(平成7年) 116.0×91.0 紙本着彩
昭和11年に竣工した愛本発電所柳河原堰堤(あいもとはつでんしょやながわらえんてい)を 「三希月廻」(さんきげっかい) 1996年(平成8年) 113.0×146.0 紙本着彩
日本三奇橋をご存じでしょうか? 「後曳橋」(あとびきばし) 1994年(平成6年) 116.0×91.0 紙本着彩
あまりの深さに思わず後ずさったことから「あとびき」という名がついたという谷にかかる橋。 宮廻正明PROFILEはこちらから
俯瞰(ふかん)した構図でとらえた作品です。
左の澄んだ水は上流の猫又堰堤で採取され、柳河原発電所で使われた水が、
黒部川に返されているところです。
右の濁った水は黒部川の支流の上流で雨が降り、水が濁ったのがそのまま
混ざり合わないで流れてきたものです。
この清濁あわせた水に人生というものを重ねて描いたと作家はいいます。
この堰堤は、黒部川電源開発の歴史を物語る構築物であり、
幾多の災害を乗り越え現在に至りましたが、まもなく宇奈月ダムの完成によって、水没する運命にあります。
今しか描けない絵ということができますが、いつでも、何があっても、
ただ黒部川の水は全てを包み込み、変わらずに流れ続けていくのかも知れません。

山梨の「猿橋」、山口の「錦帯橋」、そして宇奈月町の「愛本刎橋」(あいもとはねばし)がそれです。
この愛本刎橋は「暴れ川」である黒部の流れに対して、橋脚を用いない独特の工法によってかけられた橋です。
まず両岸の岩壁に穴をうがち、そこに太く長い木材を何本か差し込み、固定します。
そして、八の字型に両側から川上へ差し出されたこの木材を足掛かりに橋をわたすのです。
美しく、複雑な構造を見せるこの刎橋は、寛文2年(1662)から明治24年(1891)まで
7回ほど掛けかえられながら受け継がれてきましたが、今では鉄橋となり、木造の橋はありません。
作家はふとした縁から、かつての刎橋の存在を知り、興味をひかれたようです。
加賀藩の史料や、明治期の写真、「うなづき友学館」に復元された2分の1の大きさの橋などを基に、
実際に橋のあった場所とその周囲を訪れ、辺りの植生や景観を調査、考察して、かつての姿を画面上に再現したのです。
やわらかな筆致は橋とその周囲の自然を包み込みながら、時さえも超越して、
時の流れに消え去った刎橋を現世によみがえらせました。
それは、この土地の自然の中で、その知恵を生かし、
自然に生かされて育まれて来た人々の営みの精華なのです。
黒部の山々の上から橋を見下ろすその視線は、やさしく慈しみに満ちて、かつてこの橋をかけ、
それを守ってきた人々と、金色に輝く橋自身を見守っているかのようです。

中央の水色の鉄橋がトロッコ電車の通る後曳橋、
その奥にかかっているのが、ダムから発電所へ水を送る、水路橋です。
人やトロッコや水を渡すこの3本の橋と周囲の山々とが融け込みあい、一つの風景となっている、
その様子に感動して描いたと作家は言います。
この作品は上空から見下ろした角度となっていますが、
これは地上でのスケッチに基づいて、上から見下ろした構図を計算して描いたものです。
人間の造りあげたものは、時の流れの中で大自然に包み込まれ、
これと一体となりつつあります。
それこそが自然の持つ包容力の大きさであり、画家たちを魅了してやまない黒部の自然の力なのです。
塩出英雄 平山郁夫 福井爽人 田渕俊夫 竹内浩一 手塚雄二 宮廻正明